ケンタッキーフライドチェイサー
『ケンタッキーフライドチェイサー』とは、鶏肉を凶器として無差別殺人を繰り返す白衣の怪人と、 それを迎え撃つ少女たちの、一夏の血みどろの物語である。
追いかけてくる。
もう日は暮れてしまって、空気が夜の冷たさを帯びている。
電灯はさめざめとその足元を照らしている。
遠くで踏み切りの音がする。かん、かん、かん。電車には家路につく人が大勢乗っていて、それぞれのあたたかい家に帰っていくのだろう。
わたしも帰りたい。
でも帰れない。
わたしのあとをあいつが追いかけてくる。
はじまりは些細なことだった。
クラスメイトの由実が、恋愛にまつわる妙なジンクスを教えてくれたのだ。
昼休み、わたしたちのグループは教室で机を寄せてお弁当を食べていた。グループといってもわたしを含めて三人で、そこにめずらしく由実が割りこんできたのだ。
「ねえねえ、知ってる?」
由実はちょっと遊んでいそうな子で、わたしたちと違って見た目も言動も派手だ。だから普段ならそれほど交流はないし、こうやって話しかけてくることも少ない。でも、その日はなぜか親しげに輪に入ってきた。
「なあに、由実ちゃん」
由実はそこらへんから椅子を持ってきて背もたれを前にして座り、こちらをうかがう。顔には抑えきれない笑みが浮かんでいる。
「ふっふっふ、カーネルの噂」
カーネルの噂? ええと、カーネルって……。
「ケンタの人形みたいなやつ?」
「そう、それそれ。なんだ、話が早いじゃん」
そう言って彼女が得意げにはじめた話によると、駅前のケンタッキーフライドチキンの店頭にディスプレイされているカーネル・サンダース像に触れると、恋愛運上昇、意中の人と結ばれる、さらに金運まで上昇、となにかといいことずくめらしい。もっとも、金運については彼女が話を大げさに誇張しているふしがあったけれど、まあどこにでもひとつやふたつはあるジンクスだ。
「でさあ、キョーカは委員長が好きなんでしょ? カーネル触ってきなよ」
その言葉に一瞬、わたしの心臓はぴたりと止まった。
「ななな、なに言ってるの!」
「あ、やっぱ図星なんだ。わっかりやすー」
キョーカこと山澤杏香──つまりわたしは、委員長の洋介のことが好きだ。古風な表現をすれば、恋している、と言っていい。でもこのことは今まで誰にも漏らした覚えはないし、きっと卒業したあとも胸に秘めたままで、たぶん彼とは結ばれることなく終わるだろう。それでいいと思っているし、クラスでも目立たないほうのわたしは、分相応に彼に憧れているだけの現状に満足していた。
「今どきそんなの流行らないよ?」
由実は紙パックのオレンジジュースをずずっと飲んで、指先をこちらに向けてくるくると回している。
「うじうじしてたらダメだって。一度当たって砕けたほうがいいのよ」
「く、砕けたら死んじゃう」
傍目から見ればわたしは泣きそうな顔をしていたと思う。だって、恋心を暴かれた上に、いまさら強い風が背中を押したようなものだったから。
「はあ、もう」
やれやれとため息をついて立ち上がり、由実は指先をわたしの鼻先にびしっと突きつけ、宣言する。
「そんなんじゃ死ぬまで変わんないよ」
このとき──
このとき、たしかに運命の歯車が動いたのだった。