美少女地獄外道祭文/とるに足らない少女の死

(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=816716 からの転載)

 あれはいつのことだったでしょう。私とたずさちゃんは、最寄り駅から家に帰る途中でした。塾の後だったか、連れだって買い物にでも行った帰りだったか……理由はよく覚えていませが、既に10時を回る夜中だったと記憶しています。真冬でないとはいえ、肌寒い季節でした。
 私とたずさちゃんは開けた住宅街に住んでいますが、駅からまっすぐ帰ろうとすると雑道の多いごちゃごちゃした地域を通らなければなりません。このあたりは急な坂が多い上、曲がりくねった細道があちこち張り巡らされています。密接した二階建ての家屋ばかりが窮屈そうに建ち並び、いまだにけっこうな木造率を保っていて、印象はかなりおんぼろ。他に目につくものといえば狭い神社や小さな地蔵、需要の微妙な小汚い公園みたいなものばかりで、ちょっと歩いて大通りの方に出なければコンビニにもたどり着けません。街灯は心許なく明滅しているし、道路脇にはたいてい側溝……つまり"どぶ"が口を開けていて、目の窪んだ野良犬がよろよろ徘徊していたりもします。夜遅くに一人で歩くには、どうにも心細い道なのでした。
 そういう場所なので夜は回り道して避けることもあるのですが、知り合いと一緒ならだいぶ心強くなります。たずさちゃん自身が危険人物だという懸念はあるにしても、夜道を連れだって歩いてくれる友達はやはりありがたいもの。血も涙もない彼女がこんな夜道ごときを怖がるとも思えないので、安心感はむしろ増そうというものです。そんなわけで、この日の私は相当気が強くなっていたので、突然目の前に現れた"それ"を見てもさほど動転せずに済んだのだと思います。

 暗い脇道から「ぬう」と現れたそれは、巨大な箱状のシルエットでした。中途半端に傾いた角度で斜めに突き立ち、成人の身体ひとつくらいなら丸飲みにできるほどの大きさがあるります。鎖でも引きずっているのか、金属が地面と擦れるようなじゃらじゃらした音が響いてきます。
 私は思わず息を呑み、完全に足を止めてしました。回れ右してすぐに逃げ出すのが正解だったのでしょうけれど、相手が逃げる者を追いかける類の化物だったらどうしよう……とあまり合理的でもない恐怖に囚われ、行動を起こすことが出来なかったのです。とにかく、ここはたずさちゃんの判断に従うのが一番だろうと、横目で彼女の出方を窺いました。
 最初はたずさちゃんも微動だにせず、その奇っ怪な影を凝視していました。とてもゆっくりした速度で、けれど正確に私たちの方に近づいてくる影は、既に私たちの姿を認めているようでもありました。やはり逃げた方がいいのではないか、と私は思いましたが、たずさちゃんはもっと近寄ってみる決断をしたようです。そうと決まれば躊躇なく、たずさちゃんは勇ましく前へと踏み出しました。私も観念して、恐る恐る、数歩遅れてついて行きます。
 近づくにつれ、ぜい、はあという荒い呼吸音が聞こえてきました。まるで人が息をしているよう……いいえ、実際それは人間なのでした。斜めに傾けられた巨大な箱を支えているのは、私たちと同じくらいの小さな人影だったのです。その姿はまるで、天空を支える苦役を課された巨人アトラースのようで……その全身はぶるぶると震え、口からは苦痛のうめきが漏れこぼれています。
「ちょっと! アグニちゃん何やってんの!?」
 アグニちゃんでした。
「こんなところであなたに会えて嬉しいわ、アグニ。あら何これ、自動販売機?」
 たずさちゃんはいつも涼しげです。
「うう……最後にお前らに会えてよかった……あ、あたしはもう駄目だ……」
「いつになく殊勝な態度だけどそもそも何してるの!? なんで自販機かついでるの!?」
「なるほど、盗んだのね」
「ああ……ちょっとした出来心で……」
「盗んだ!? 自販機盗んだのアグニちゃん!?」
 アグニちゃんが両腕で背負いながら引きずり歩いていたのは、コカ・コー社ラの自動販売機でした。500ml缶が100円で買えるお得なやつです。実際海外では自動販売機の盗難がよくあるそうですが、あれは大の大人が数人がかりでトラックとか用意して行うもの。いくらアグニちゃんが馬鹿力とはいえ、これを少しでも引きずることが出来たなんて正気の沙汰ではありません。
「ぐうっ!」
 自動販売機を支える身体ががくんと沈み、アグニちゃんは片膝をつきました。もうあまり長く保ちそうにありません。
「ていうかなんで!? なんで自販機盗むの!? それでどうするつもりなの!?」
「だ……だってさ……家に自販機置いとけば……100円入れるだけでいつでもコーラ飲み放題じゃん……。うちの近所、150円のしかなくてさ……。それに、家ん中に自販機あったらすげー手軽だし……。はは、夢みたいだ……。これ持って帰れたら……うちの、家宝に、なったのに……」
「結局お金払うの!? しかもそれ誰がどうやって中身のコーラ補充するの!?」
「ああ……シズカ、あたしのこと、バカだと思ってんだろ……。あたしもさ、そう思うよ……。こんな、重いの、無謀だった……」
「そこなの!? もちろんそこもキチガイじみてるけど! ていうかもう全部キチガイだよアグニちゃん!」
「大丈夫よアグニ、誰もあなたのことを馬鹿になんてしないわ」
「馬鹿そのものだよ!」
「ごめん、ごめんなシズカ……。たずさもさ……。持って帰れたらお前らにもコーラ、お裾分けしてやりたかったのに……それももう出来ない……」
 アグニちゃんの声から力が消えていきます。本気で死を覚悟したのか、アグニちゃんの態度はいつになく殊勝でした。
「あたしはもう……ここまでだ……。な……なあ、シズカ……。よかったらさ……」
「な、なに」
「最後に手、握ってもいいかな……」
「えっ」

 暗がりの中、アグニちゃんは震える右手を私の方に伸ばしてきました。その瞳は、心なしか潤んでいるようにも見えます。私は……なんだか気持ち悪いなーと思い、軽く一歩後じさりました。時間が止まったような、とても長い一瞬が経過しました。ふっ、と突然糸が切れたように、アグニちゃんの身体が腰から一気に崩れました。
「グフーッ!!」
「アグニちゃーん!!」
 アグニちゃんは自販機に潰されました。さようなら、私のともだち。