エデンの向こう側

(http://throw.g.hatena.ne.jp/sasuke8/20080507/p1より転載・一部改変)


夕方、作業小屋。開いた戸口から、オレンジの光が入る。
青年と少女、二人。
少女が笑顔を作り、青年に声をかけた。
「写真見たよ。いい人そうじゃない」
「うん」
「健康そうだし、農作業も手伝ってくれそう」
「うん」
「綺麗だし、明るそうだし、何より優しそうだね……」
「うん」
「どうしたの? 嬉しくないの?」
「……君が悲しそうだから」
少女はうつむき、黙り込む。小屋に沈黙がおりる。
少女は微笑んで、顔をあげた。
「……仕方ないよ。タモツ君ももうすぐ30歳でしょ。そろそろ結婚してさ。子供生んで、お父さんやお母さんを安心させてあげなくちゃ」
「そんなの、どうでもいいよ」
「どうでもよくないよ」
「どうでもいい」
「よくない」
「いいんだよ」
そして、青年は少女を抱きしめた。少女は、簡単に抗えるはずのその腕を払えない。最後の抵抗として声を出す。
「だって、だって私は、トラクターだよ……」
「でも、好きなんだ!」
そして、少女は完全に沈黙した。永遠のような、刹那のような時間の後に離れた一人と一機は、すでに決意していた。
「行こう」
青年の眼差しに、少女は、こくりと頷いた。同時に轟くエンジン音。少女の胸のライトが光った。


月のない夜、人のいなくなった水田の脇、斜面との間の畦道を少女は駆けていた。背にはタモツ青年が乗っている。
田舎の夜は暗い。端から体が溶けていくような闇の中、少女のライトだけを頼りに走っている。タモツの脱走がばれる前に、国道に乗らなければ、面倒なことになる。
「タモツゥ!」
そのときだった。声と共に、鋼の心臓音を響かせ、斜面を削りながら駆け下りた農機が二機、タモツ達の前に立ちはだかった。
「ダイゴ! ユウサク!」
タモツの叫びに答えるように、農機の上の青年が叫ぶ。
「どうしてもいくのか! この村を捨てるのか!」
タモツ青年の顔が悲しそうに曇る。しかし、その目に迷いはない。タモツはすでに決意している。
「俺は、この村が好きだ。でも、でも、俺はこの子を見捨てられない! わかってくれ!」
「タモツ……! 馬鹿野郎が!」
ダイゴと呼ばれた青年の農機が、大きく反転し、農機の後ろで回転する刃を、タモツに向けた。次の瞬間、土を抉る破砕音がして、タモツと少女の後ろの道が崩れる。
タモツが一瞬目を瞑り、少女を回転させて止める。
「行け! 貸しだぞ!」
ダイゴが叫んだ。
崩れた道の向こうで、ユウサクが手を振った。
「タケシさんとこの、最新型も出てる。早く、行って」
「ダイゴ、ユウサク……」
タモツは、涙をこらえて、二人の友人に背を向ける。去りゆく際に、大きく右手を上げる。ダイゴとユウサクは、タモツの背中を見て、笑みを浮かべた。

農道を駆けながら、少女が呟く。
「良い人達だね。でも、これで、良かったのかな」
「それは、俺たちがこれから決めるんだ」
「……うん」
いつの間にか、朝日が、昇ろうとしていた。朝日と、風が水田をきらめかせる。
タモツ青年は、叫んだ。
「行こう! 水田の向こうへ!」



慢性的な人不足に悩む日本の農家を救うべく、登場した「汎用人型農機」。政府の援助もあって過疎村にとってなくてはならないものへとなった。しかし、皮肉なことに、その科学技術の進歩によって、農家の嫁不足は、さらに加速しつつある……。