理性教団

 自分を変えられるのは自分しかいない。だから私は、本質的に誰にも何も期待しない。しかし、きっかけは必要である。

 理由あって苦しむ者は幸いである。彼らには、苦痛の原因を取り戻すという目的があるし、それを成し遂げれば平穏が得られるという希望がある。
 理由なくして苦しむ者は不幸である……。

 理性が他の何かより崇高であると思ったことなど、私には一度もない。ただ理性は、私が頼ることのできる、私の中に残された最後のものなのだ。他のものは消費し尽くしたか、はじめから私になかった。

 理性教団について、確定的に語れる事柄は少ない。彼らは存在の痛みを抱えていた。彼らが最後に縋ったものは理性であったが、それが彼らを救いえたかどうか、我々には分からない。彼らの中心には、一人の娘がいたという。あるいは、不安に駆られた彼らが、救い主を祭り上げたというべきか。しかし、彼女にそんな気はなかったのだ。