書の騎士2
触手塊がひるんだ瞬間を逃さず男は一気に畳みかける。腰から引き抜かれたグラディウス。一振りで幾本もの触手を寸断する。
魔物の咆哮が鼓膜を突き破らんとするかのように空間すらをも振動させる。
「ぐっ!」
男が苦悶の声を漏らす。
触手塊の跳躍。中心部がばっくりと裂け、男を丸呑みにしようと中空から落下してくる。
「バルド、上だ!」
ルリが声をあげる。
男――<騎士>バルドは書架の合間に飛び込みすんでのところで魔物をかわす。
ぐじゅるぐじゅると緑の体液をしたたらせる魔物の断たれた触手は、既に再生を始めていた。
再びバルドは刀剣を振るう。魔物の触手の群れがそのバルドの腕に殺到する。
「ぐっ――がぁぁぁぁぁ!」
やつの数本の触手と引き替えにバルドの右腕の先は噛み千切られてしまった。
「っのヤロ―――!」
残った左腕を突き出しバルドは触手塊の中心へと飛び込む。
再び触手塊が大きく裂けてひときわ大きな口腔を晒す。同時にバルドへとからみつく触手群が肩や脇腹、両脚の肉を引き裂いていく。
バルドの左腕がその黒より暗い深遠に飲み込まれる。
いや、違う。
バルドは自らそこへと手を伸ばしたのだ。
そして、それを掴み取る。
口腔が閉じられる間際に触手塊を蹴り飛ばし、バルドはその腕を引き抜いた。
果たしてそこに握られていたのは赤く輝く水晶球のような物だった。
ぐじゅるぐじゅるぐじゅる。魔物は溶解しながらのたうつ。
そして、ついには緑の湖だけを残し、消滅してしまった。
「失礼しました」
深々と頭を下げルリはその部屋を退席した。
通称セクション9。知識階級による魔導研究部門だ。ルリはそこで例の魔物が封印されていた書の解析結果を聞いた。そして、得られた答えは『封印にほつれはなく、この書に問題はなかった』というものだった。
にわかには信じがたい回答だった。
それならばなぜ――
自室に戻ると濃いコーヒーをいれて一息つく。こうばしい香りが疲れをほんの少し和らげてくれた。がしかし頭には疑問符が広がっていた。
セクション9の回答を信用するならば書の封印に問題がなかった、つまり例の魔物は外的要因により正規の手続きを踏み召喚されたということになる。外部の侵入者によるテロ行為か。いやまさか、それだけはあり得ない。この図書館を要塞たらしめている<キーパー>の存在があるからだ。<騎士>と比すべくもないほどの最精鋭たちによる堅牢な警備が破られるはずがない。
机を指でノックしながらコーヒーをすする。じんわりと濃密な苦みが口腔に広がっていく。
そして彼女は気付く。ある一つの可能性。
我々の中に、裏切り者がいる――?
ランプの灯が揺れ、部屋に落ちる陰が身じろぎした。
星々の輝きすら忘れた司書の夜は、それでも更け行く。
大いなる疑念――胸裏に沈みゆく黒い澱を残して。