ザリス・ノート/2

 とある平行世界の私は、何者にもなれずに死んだ気がする。この世界の私もまた何者でもない。しかし"何もかもが起こりうる"という魔界の特性ゆえに、同時に私は何者でもありうるのだ。この全能性は一見福音だが、しかしそれこそが真の恐怖ではないか。何者でもあり得るゆえに引き起こされる価値観の乱立はあらゆる価値を平均化するし、それはあらゆる価値の無効状態と相似形をなしているのだ。私が目指すべきところは価値の相対化と統合であって、決して平均化ではない。

 とすれば、魔王が私に課したこの不毛な歴史編纂作業にはそれなりの意義があることになる。そもそもこの魔界に歴史などない。未来が可能性の束であるようにこの魔界においては過去もまた可能性の束であって、事実として存在する過去などないのだ。たとえば、この窓からはこじんまりとした丘が見える。あれは平原に土くれが積もり積もってああなったのかもしれぬし、大きな山が風雨で削られてあの大きさまですり減ったのかもしれぬ。そういう不確定の海にあえて歴史を与え、一本の筋道に収束させる行為こそ、拡散し続ける魔界の価値に対抗する魔界の民の営みなのではないか。

 さしあたり、私にも同じことが言える。私には歴史がなく価値もない。生とも死ともつかぬ現状を続けていれば、遠からず私の存在自体が魔界の可能性に埋没するだろう。何者にもなれずにさまよい続けた平行世界の記憶が私にはあるが、しかしそこには"何者でもない私"の占める空間が確かにあって、外界との境界を形作っていた。一方この魔界においては、何者でもない私など空気の中に融けて混ざって消えるのみだろう。そうなることが気に入らないので、今のところ私はこのノートを放り出してはいない。