魔界の始まりについて

 宇宙は滅びの運命に取り込まれていた。しかし宇宙の管理権限を持つある男がパラメータの徹底的な価値相対化を図ったため、絶対的に思えた滅びの運命もまた、無数に存在しうる取るに足らぬ運命のうちのひとつにまで矮小化された。

 こうして宇宙の危機は去ったが、その代償として、宇宙はきわめて深い虚無状態に陥った。価値の相対化は価値の平均化に繋がり、価値の平均化は価値の無化に繋がるのだから、この顛末は道理であった。価値の相対化された宇宙では、言葉の意味や人の個性、命の有無すらたやすく揺らぐ。いまや宇宙は空漠と稠密の境目すら失われた無価値の世界であり、これは宇宙の新たなる危機であった。

 そこで、男は新たにひとつの言語を定義し、みなが共通の言葉で意思疎通できるようにした。また、男は人々に一人ひとつの役割を与えることで、その者に個性を与え、各人が自分と他の者とを区別できるようにした。最後に男は命の有と無にはっきりした境目を設け、人がどちらを選ぶにせよ、一度にはどちらか片方の態しか取れないように取り決めた。ところが、言葉を作り、人に役割を与え、命の境界を引くのに忙しかった男は、自分自身について考えるのを忘れていた。ある時ふと気がつくと、男は自分自身の役割がまだ割り振れていないことに気がついた。そこで男は自分を魔王と名乗ることにし、その時たまたま男が在していた命の境界のこちら側の世界は、魔界と呼ばれることになった。