カーブミラー

 こつこつと誰かが指で叩くような音に窓を見ると、たしかに親指ほどの大きさの蛾が、部屋の明かりに誘われて何度も体をぶつけていた。これは「走光性」という習性に基づくもので、本来蛾は月や星の明るさを指標に飛ぶのだが、人間の作り出した人工の明かりに惑わされた結果、こんな無謀な突進を試みることになってしまったらしい。鱗粉を散らしながらガラスにぶつかる様を見て、もう少し融通がきかないのかと思う。
 融通がきかないといえば人間を省みて多々心当たりはあるのだけど、そんな習性を持つのはなにも目に見える存在に限らないようだ。沖縄では町をさまよう魔物はまっすぐにしか進むことができないので、T字路や三叉路など道が道にぶつかる場所に「石敢當」と呼ばれる石碑を設置し、これを魔除けとする。石敢當に当たった魔物は粉々に砕け散るという。
 
 少し前から夜中にジョギングをするようになった。そのコースの途中、道と道がぶつかるT字路にそれはある。といっても沖縄式の石敢當ではなくて、団地に進入する上り坂の終点、つまり入り口を突き当たった地点で侵入者を睥睨するそれは、何の変哲もないカーブミラーである。
 深夜二時頃、軽いトレーニングとストレッチを済ませてジャージに着替えると、深呼吸して肺に夜気を通し、飛び跳ねたり腱を伸ばしたりして身体をほぐす。片膝に体重をかけてもう一方の脚をうしろに引き、引いた脚に力をこめ、とん、と軽く地面を蹴ってスタートする。最初は膝の調子を確かめて走る。それから、とっとっとっ、と一定のペースで風を切る。そうやってしばらく走っていると、走るというよりはふわふわと漂うようで、身体の境界から自分の存在が暗闇に溶け出していくのを感じる。曖昧な身体をさわやかな空気が包む。
 そのまま夢とも現実ともつかない心持ちで走って行った先に、スプーンをさかさまに挿したみたいなオレンジ色のカーブミラーが見えてくる。すれ違う一瞬、ミラーを覗く。
 そこには電灯と自販機の明かりに照らされて周囲のものがぐにゃりと引き伸ばされて写っている。当然、自分の姿もいびつに反射していて、歪んだ像は夢の中を走る姿を正確に写しているとも思う。深夜二時の夢の像。それをさっと一瞥してジョギングを続ける。
 カーブミラーは石敢當と同じように魔物を退けるのだろうか。砕くとまではいかないにしても鏡面で跳ね返すくらいはできるのかもしれない。でも、そうではなくて、魔物を鏡の中に封じるとしたらどうだろう。
 古来から鏡は魔力を持つものとして重宝されてきた。それはただ光を跳ね返して姿を写すだけにとどまらず、鏡のむこうにもうひとつの世界を顕わしめ、存在を封じることが求められたからなのかもしれない。もうひとつの世界がむこう側に広がっていてもおかしくないと思わせる不思議な魅力が、鏡にはある。鏡と鏡を向かい合わせて永遠の回廊に光を迷わせる例の装置を引き合いに出すまでもなく、それは石敢當のように魔物を砕くことはできずとも、騙して別の世界へ迷いこませることはできる。
 騙された魔物は鏡のむこうからこちらを覗き見る。
 
 カーブミラーを見る。すると、この世を希う骨ばった指がこつこつとノックをくりかえしている。鏡には鏡を見る者と同じ姿の、けれども虚ろに引き伸ばされた姿が映る。引き伸ばされた顔は鏡の丸みに沿って奇妙に微笑んでいる。その微笑は、夢と現実が交差する深夜の暗闇に、境界を越えてふわふわと溶け出している。