河足市猫町おかたりさん行き

 河足という町のことについて僕が話せることは少ない。
 そこでは、内部は浸食されとめどなくただれていく場所なのだ。
 草木は僕をにらみ、車のライトの逆光はまぶしい。
 ただ、たんたんと流れるコンビニの有線のようなものだ。耳に入り意味をすくい取ろうとした瞬間、まばたきよりわずかに遅く網膜を突き刺す。言霊にあふれたこの町で僕がはじめにしたことは猫を探すことだった。猫のいる町ならば、この認識が阻害される町でも生きていけるだろう、と考えたのだった。
 しかし、それは浅はかな考えだった。
 そもそも、認識がずらされている状態では猫を見つけても、それが猫だとわからないのではないか、そう気づいたのだった。
僕は確認した。踏みしめている大地はゼリーのようにぶるぶるとふるえているわけではない。吸っているのは毒や悪臭ではなく適度に酸素が入り交じった普通の空気だ。体育の時間でならったように自分の脈拍を計ってみる。重要なことを忘れていた。通常だと一分間にどれくらい心臓は鼓動するのだろう。わからない。でも多分多すぎも、少なすぎもしていない気がした。
ようやく落ち着いてきた。これで猫探しができる。自分の立ち位置を確かめるというのはとても重要なことなんだ。
「そこを真っ直ぐ行くとおかたりさんだよ」
「お語りさん?」
「そう、まずはあいさつしなくっちゃ」
「えらい人なのかな」
「人じゃなくて神様・・・の一種だと思う。多分」
「お話がうまいからお語りさん?」
「うまいかどうかは分からないけど、この町のことならなんでも知ってるよ」
「じゃあ、僕が来たことも知っているのかな」
「ううん、どうだろう。自分で聞いてみたらいいんじゃないかな」
「なるほど。ところで、この辺で猫が集まる場所を知らないかい?」
「え、あたしじゃダメかな」
「あ、ごめん。君、猫だったんだ」
「気づかなかった?」
「うん、どおりでかわいいと思った。猫ならかわいくて当たり前だもんね」
「そうそう、あんたは案外鈍いね」
「それは・・・よく言われる。傷つくからあんまりストレートに言わないでよ」
「うーん、がんばってはみるよ」
 猫に出会えたことで僕は随分落ち着きを取り戻した。とりあえず、この子の言うとおりお語りさんのところへいってみよう。どんな人なんだろう、いや人じゃなくて神様なんだっけ。いずれにしても、僕はお語りさんのしゃべることに興味をもっていた。
「なんでついてくるの」
「ついて来ちゃだめ?」
「ダメじゃないけど、僕は猫好きだけど大抵の猫は僕のこと嫌うから」
「河足の猫は親切なんだ」
「そっか」
 お語りさんのほうへ行こうとすると、「次の交差点を右折して」とか「あのポストを背に50メートルほど歩いて」と指示された。どうやら案内しているつもりらしい。
「真っ直ぐって言わなかったっけ」
「え、言ってないよ」
「そうだっけ。あと案内なら先にいってよ。僕がついてくからさ」
「え、そんなことできるわけないじゃん」
「そっか」
「そうだよ、失礼だよ」
 そうして、お語りさんに着くころにはもう日が沈みかけていた。僕はお語りさんにどうしても聞いておきたいことがあったのだ。
「お語りさんお語りさん、はじめまして。」
「これはこれはどうも、はじめまして」
「あの、突然で悪いんですが、どうしてもお語りさんに聞いてみたいことがありまして」
「はいはい、なんでございましょう」
「僕は一体誰なんでしょうか」
「とまどうことはありませんよ。何せあなたはこの町にきてまだわずかしか経っていないのですから」
「どういうことでしょう。僕はこの町に来る前のことを知りたいのです」
「それは無理というものでございます」
「どういうことでしょう。あなたはお語りさんではないのですか」
「不可能、つまりcan notということなのでございます。仮に可能であってもやはり語ることはできないのです」
「意味がわかりません。あなたはなんでもご存じなのでしょう」
「さすがにあなた様の前世については存じ上げません。あなたはこの町で生まれ落ちたばかりなのですから、これまでの過去はないのです。ですから、今世を大事にいきてくださいまし」
 こうして僕は河足で産まれた。