信吾とサチとおじいちゃんとおばあちゃんの断片


信吾は、2列目の4人掛けシートの窓際に座り、真っ暗のはずの外を見ている祖父を見つけた。

「じいちゃん!」
「おお、信吾、サチまで。お前たち、一体どうして」
祖父は、孫達の必死な顔を見て、驚いた顔をした。

「爺ちゃんを追ってきたに決まってるだろ!」
「おじいちゃん、死なないで!」
サチが勢い良く祖父に飛びついて、祖父は少しよろめいたが、しっかりと孫を受け止めた。
祖父はしがみつく孫の頭を優しく撫でた。
「まだわしは死なないよ。心配させたかね?」
「心配した! だって知らないうちにいなくなるんだもん」
サチは泣いていた。まだ死ねないな、と小さな身体でしがみつく孫を抱きながら、祖父は思った。


「爺ちゃん、おばあちゃんに会いにきたの?」
サチを膝の上に載せ、信吾と向かい合って席に座る。信吾の顔は少しだけ大人びて見え、それが泣いたサチを見て、逆に自分を冷静に保った結果だと祖父は考えた。やはり、信吾は頼れる兄貴の素質があるなと、祖父はほくそえむ。
「うん、そうだ」
この子達なら、話してもいいかもしれない。子の成長は早いな、と祖父は思う。


「何と言うかね、うちの婆さんは、まあお前達は会ったことないだろうが、悪い奴でね。人を騙して、傷つけて、踏みつけて生きてきた。まあ、それは自分が周りにそういう風にされてきたお返しだと思ってきたからなんだけど、結果的に悪行を重ねてしまったんだね。ただそれも、わしと結婚して、少しばかり良くなったかと思ったら、死んじまった。まだ婆さんというには早い歳だったのになあ」
「病気だったの?」
「婆さんに恨みを持ってた奴に刺された」
二人は、顔を見合わせる。父親が話したがらなかったわけだ。
祖父はやたら淡々と話すが、よっぽどの人だったのだろう。父や親戚は誰も祖母の事を話さない。それが家の不文律だった。
サチは、どういう顔をすれば良いのかわからない。

「それでね、まあ直ぐには死ななかった。だから、死ぬ前に少しだけ、わしと話したんだ。わしは医者から、かなこ……婆さんが死ぬ事を聞かされていたから、これが最後の会話になると知っていた。でも、そうなると何を話せばいいかわからなくて、結局何も言えなんだよ。だけど、あいつはもうすぐ死ぬのに沢山しゃべった。
『私は、多分、地獄に行くわ。くそう。これから返していこうと思ってたのになぁ……』
そう言って、悔しそうな顔をするんだ。かなこはいつも本気だった。誰かを憎むときも、誰かを好きになるときもな。わしは、かなこの、そんなところが好きだった」
サチの目が少し輝いた。信吾は祖父ののろけにどう対応していいか分からない。
「あいつは言った。
『貴方は多分天国行きね。悔しい』
『わかんないぞ。そんなこと』
『だって、こんな悪女を更正させたのよ。そのおかげで何人の人間が救われたか』
『変な自覚があるんだな。でも更正したかな?』
『する所だったのよ。残念……もう会えないね』
そういって、かなこはすっと目を閉じたんだ。今でも覚えてる。覚悟はしていたはずなのに、心臓を鷲づかみにされたような、一瞬全身の血が止まったような、そんな恐怖がおしよせてきた。わしは思わず大きな声をあげてしまった。
『待て! まだ会えるぞ! 俺が悪い事したらいいんだから』
そしたら、あいつ、目を開けていて、
『無理ね。あんたじゃ、無理』
と笑うんだ。
わしはほっとしたよ。でも直ぐに全然ほっとできる状態じゃないことにも気付いた。でもな、そのときは本当に、何故かほっとしたんだ。それは、あいつが、相変わらず苦しそうな顔をしながらも、どこか突き抜けた爽やかさを持っていたからのように思う。今では、そのとき、どんな顔をしていたのかも思い出せんのにな。
『そうね……死んだら会えないけど、生きてるうちは、会えるかもしれない。私のおばあちゃんが言ってたの。地獄に向かう妖怪の列車があるんだって。日本に列車が開通したとき、新物好きな妖怪たちが、それを真似たんだって。それに乗ればね、地獄にだってこれるんだって』
もうかなこの目には、わしは見えてなかったと思う。薄く目を開けながら、息も絶え絶えにあいつは言った。
『もし、また会いたくなったら、妖怪列車の切符を送るから、地獄に会いに来なさいよ』
わしは大きくうなずいた。あいつはそれを見たかどうかわからないうちに、あいつの魂はいっちまったよ」