スペック不足(注釈つき)


「ザリス」*1

 魔王だ。

「ザリス、どうかしました? 気分悪そうですよ?」

 私の気分が悪いのはいつものことだ。

「私の気分はいつも悪いんや。この気持ちは誰にも邪魔させん」

「さいですか」
 魔王は座った。座った?*2

「魔王」

「はいな?」

「何に座っとるん」

「え」

 間。*3

「椅子……ですけど。どういう意味ですか」

 魔王は樫木で拵えた古椅子を、ぎし、と揺らす。

「椅子やね」

「椅子ですよ」

「うん」

 気持ちの悪い、硬化したような時間が流れる。普段の人の意識は、時間の連続性を気に留めていない。ミルクをコップに注ぐ動作と、コップを口元まで運ぶ動作と、そのミルクを飲む動作。それらの動作はほとんど無意識にワンセットとなったイベントとして認識され、"ミルクを注いでから飲み始めるまで"の連続的な時間の流れを意識するようなことはない。だから、時に何のイベントもない状態で一秒、二秒と進んでいく時間の連続性を意識が目の当たりにすると、ひどい違和感を覚えるのだ。緊張感と、意識の鈍重な進行がないまぜになった、ひどく居心地の悪い瞬間。*4

 こちらから、沈黙を破る。

「ほんならやな」

「はい」

「この部屋は、なんや?」

「  」

 この部屋は

「私の部屋ですけど」

「……構成が間に合っとらんね」*5

 魔王は、息の詰まったような顔をした。そうして一瞬思考を止めた後、誤魔化すか、誤魔化すまいかを計算し始めたようだった。

「……そうですね」

「そういうことやね」

 あの気持ちの悪い時間の沈黙が、またこの場を支配した。*6

*1:突然声がかかる。ザリスが初めて魔界に"発生"した時と同様、このシーンも前後の繋がりなく唐突に"発生"したとみなせる。

*2:この時点で、「椅子」は認識されていない。魔王はこのようにして、できる限りこの魔界の構成物を削減しようとしている。魔界の表象を構成し続けなければならない魔王の能力に、限界がきているため。

*3:まさにこの間に、魔王は椅子を構成した。そこに椅子が出現するまでは、「そこに椅子がないこと」もまた認識できない。よって、ザリスがこのような問いを発したのは実際に得た違和感によるものではなく、感覚以外の他の情報に基づいた理性的判断によるものである。

*4:ザリスのだべりは長い。

*5:部屋を構成するまで、返事をするまでの「間」が長すぎたことをもって、ザリスは自分の推測が妥当であることを確認した。

*6:こういう、話のオチをつけるために無理矢理"それっぽいこと"を言って場を収めなければならない物語の無言の圧力が私は大嫌いだし、そういうものに甘んじているザリスの根性も私はいけすかん!