プレストーリー:ガッデム構造体

 ガッデム構造体。そのあまりのガッデムぶりに、それを目にした者はことごとく「ガッデ〜ム」と声を漏らすという。

「はいはい書記官殿はおかしなモノローグを入れんでください」

 年齢詐称の魔王がマジックペンで白板をキュッキュする。そこは太書きの赤文字でこうある。「ガッデム構造体の解析に関する戦略会議」 何がどのように戦略なのかは誰も知らないし魔王も知らない。ガッデーム。

「えー、トロメリア言理官の説明によれば、このガッデム構造体は魔界の物理的本質であるそうです。物理的本質って言われても何のこっちゃですけど、あの人のことなので雰囲気重視で言葉選んで適当こいただけだと思います」

 魔王の指示棒が、白板の図形をぺしぺし叩く。それはガッデムとしか表現しようのない構造体であり、それを見つめていると僕は思わずガッデームと呟きそうになってしまう。「ガッデーム」

「やかましい。先日突然魔界の色んなところに露出したこれらの構造体は見る者全てにガッデームと言わしめ、じゃなくて特に実害はないけどなんか気になるので早急に対策チームを結成すべし、というちょいクレーマーな市民の声を受けて今回このような会議の場を設けたわけです。特に実害はないので、出席してるのは暇な人だけです。その数少ない参加者の中に私が含まれてるのが納得いきません。われ魔王やどー」

 閑職の魔王と閑職の書記官の他でこの会議に出席しているのは、閑職の閑職官と間食のおやつ大臣、そして市民代表のハウスガーディアン程度である。みんな総じてやるが気ない。会議室こそ文武百官が顔を揃えられる広さだが、隅っこの方に白板置いてこそこそやってる光景はまことに忍びない。先代様にも忍びない。大地英霊にも始祖神にも忍びない。ガッデーム。

「えー、おやつ大臣は一回おやつ食べるのやめて話聞いてください。それか私のおやつの分け前アップしてください。でー、トロメリア言理官の言うところによりますと、ガッデム構造体は魔界の本質の現出であるゆえ、これを分析することは魔界の本質を掌握することにも繋がるのだそうです。具体的に何が出来るかというと、HPが0になっても死なないとかお金カンスト無限とか敵の技をむりやりセットできるとかチートな裏コマンド使い放題ということです。楽して儲けたいならこれを逃す手はありません」

 手に入れれば世界を手中に収めることが出来る的なアイテムはフィクション空間上枚挙にいとまがない。聖杯とか賢者の石とか剣とか槍とかなんか色々あるけれど、要はこれもそのうちのひとつということだ。そんな恐ろしいものなら地下深くのダンジョンにでも封印して余人には触れられないようにしておけばいいものを、こうも大っぴらに民草の前に晒してしまうとは。この魔界をデザインした始祖神たちも、ずいぶんと気前のいい大盤振る舞いをしたものである。

「ただしソースはトロメリア言理官」

 ガッデーム。

「あー。なんでいちばん事情を理解してるはずの言理官がこの場におらんねん。魔女は脳みそ二つあるんですから別の仕事やりながらでも出席できるはずでしょうに舐めとんか。ガッデーム。閑職環殿この件について何か意見は」

「働かざる者食うべからず」

「渾身の自己否定の言葉をどうもありがとうございます。それでまあ魔王府としても、突いても焼いても傷ひとつ付かない跳ね返り係数1.0のこの形而上物体をどうにかしたいと思うわけです。とっとと調査に入りたいのですが、なにせサンプル採取すら許してくれない不思議剛体、組成分析すらままなりません。これが多少の矛盾を吸収してしまえる心の広い魔界でなければ、とっくに物理法則が崩壊して相対性試論涙目ですよ。よってここは方法を変えます」

 魔王の長弁舌が続く。文章のバランス的にはこの辺で地の文も入れておかないと収まりがわるいのだが、魔王はそんなことを気遣う素振りもなく目立った動きを見せてくれない。いきなり五体投地とかでもやってくれれば、数行なりとも描写をかせげるのだが。管理職に配慮が足りないから、こういうところで部下は苦労するのだ。

「ガッデム構造体は魔界の本質です。つまりガッデム構造体自体を直接調査せずとも、魔界の本質について分析していけば自ずとガッデム構造体の秘密が見えてくるのではないかー、と。要は、魔界の全ての現象はガッデム構造体を指し示しているし、その逆もしかりなのです。私が喋っているこの言葉すらも、ガッデム構造体を構成する一要素だか原因だか結果なのです」

 説明しながら、魔王はごく自然な動作で白板に「ガッデム」と書いた。おそらく魔王は、自分の説明している謎理論の要約を書こうとしたのだろう。しかし、魔王が実際に書いたのは「ガッデム」だった。魔王が気づいていない様子なのをみると、どうやら本人にも無意識の行動だったのだろう。つまり、これこそが魔界の本質の現出とは言えないか。魔界の本質はガッデムであり、だからこそ誰もが無意識にガッデムとの文言を唱えている。

「なんてことだ。ガッデーム……」

「やかましい。で、私は考えました。私は考えましたというのは嘘で本当に考えたのはトロメリア原理官なのですが、とにかく何か人々の無意識の言葉を拾いまくって分析すれば、自ずと魔界の本質、ガッデム構造体の深淵が浮かび上がってくるだろうとこう考えたのです。魔界全土で発されるすべての現象を収集して分析でもできればよいのですが、もちろん私らにはそんな人手も力もありません」

「暇だけはありますが」

 閑職官がその役職にふさわしい威厳を込めて注進した。

「閑職官殿お勤めご苦労様であります。そういうわけで、魔界の全現象がガッデム構造体の影響下にあるとしても、それが具体的にどのような形で現われているかを抽出するのは困難を極めるわけです。ですので、ここでまた方針を変えます。楽な方へ楽な方へと流れます。能動的に本質を抽出することが難しいのなら、はじめから本質が現出しやすい状況に狙いを定めて、そこを重点的に観察すればよいのです。つまり、"気の赴くままにやったら偶然こうなりました"という、必然性の薄い状況こそが重要になってくるわけです」

 なるほど、と得心する。今朝方、魔王が城中の住人の寝言を嗅ぎ回ってたのはそういうわけか。

「がんばって盗聴とかしてみたのですが、すこぶる評判が悪かったのでこの計画は早くも頓挫寸前です」

「当たり前すぎますね」

「それに大量の寝言を前にしてそれらを統計的に仕分けし、分析するというのもこれがまた大変な作業でして……果たして私の行いは正しいのでしょうか? 明日死んでも悔いのない人生を生きている胸を張って言えるでしょうか? お父様、果たして私は阿漕な奸策を労しているのでしょうか……」

「つまり飽きたわけですね」

「そもそもの話、人々の無意識を無理矢理分析し、抽出しようとする行い自体が私たちには過ぎた傲慢だったのです……。それを解析しようとする人の意思が介入した時点で、それはもう恣意的なフィルタに侵された紛い物に過ぎません。そうやって得られた本質など、所詮は人々にとって都合のよい目眩ましの玻璃細工に過ぎなかったのです……。人生とは……なんとむなしい……」

「面白いいいわけを言おうと思ってちょっと頑張りましたね。きりがないのでそろそろ結論をお願いします」

 どうせ言いたいことは決まっているのだろうから、物語性のためにその過程をいちいち記述するのは面倒だ。書記官はその場の発言を漏らさず記録せねばならないが、余計な記録をしないで済むよう努力する権利はあるのだ。結論に至るためには何となく物語が必要である、という無意識は批判的に省みねばならない。そろそろ話をまとめねばならぬと、僕は一言二言と口を開きはじめる。

「い、今から結論部に入ろうとしたとこだったのに! やる気なくした!」

「みんなそう言います。それで?」

 僕は書記官の権限を発動し、現実の要約を行う。実際に起きた現実に関して虚偽を記すのは書記官にとってあるまじきことだが、その事象が発生する前の段階で未来の在り方に干渉するのは何ら問題ないことなのだ。以下、魔王にしばらく説明台詞に徹してもらう。

「つまり、意味内容の抽出、編集自体を無意識によって行えばいいわけです。なるべく現実の因果から遠ざかっており、なおかつ高度に体系的な意味内容の構造体。それは芸術とか物語、あるいは創作やフィクションと呼ばれる領域です。なぜあなたにはそのような嗜好があるのか? と問うた時、その理由に完全な必然性を見いだせるケースは稀です。多くの場合、それは偶然性の高い出来事であり、であるとすれば、それこそが宇宙の偶然自体を規定する宇宙の本質、ガッデム構造体の現出であるとみなして間違いではないのです。あるいは、そもそもこの宇宙はそのようなものが現出するようにデザインされていたとも言えましょうし、つまりその観察から逆算して法則の正体に迫ることも可能なのです。その上、物語というものは、特に意識せずとも自ずとある程度の構造を持とうとし、体系的たらんとします。一人の人格の成した物語にはその人の個性が強く影響するでしょうが、百人、万人の手によって習合した大統一物語なるものを打ち立てれば、それは宇宙の本質を限りなく忠実に反映した構造体となるでしょう。ゆえに私は、人々が自ずと紡ぐ物語構造、架空体系を統合せしめ、そこに宇宙の本質、ガッデム構造体の本質を見いださんとするのでした。ガッデーム」

「はいよく出来ました」

「わぁい」

「それじゃあまあ、方針として何をするかの目処は立ったというところで、次はそれをどう実現するかですよね。誰がやるの?」

 そして魔王は固まった。それはもう、ものの見事に固まった。さすが魔王。先を読む力があっては魔王などやっていけない。そうでなければ、レベル1の勇者が生き残れる道理はないのだから。

「……、と……」

「と?」

 そして魔王は、新たに直面した問題に苦渋の決断をもって答えた。

「と……友達さそってみます……」

 hyperloreの誕生であった。