リル宮ルル子のその後


「りるるるるるる……りるるるるるるる」


携帯電話の着信音でもない。鈴虫の音でもない。そもそも今は冬だ。
それはリル宮ルル子の、音の形をした”電波”だ。リル宮ルル子の発信する”電波”は、ルル子の母校の屋上から、冬の冷たい空気の上を滑るようにして人の心を伝播していく。



「龍造寺って」
中村忠志の後を追いながら、ルル子は誰に言うでもなく呟いた。
「凄い気になる苗字。ロマンが爆発してる。だって龍を造ってた寺だよ。全然意味わかんない。でもそれが良いよね。一体何をしようとしたの? でどうなったの? って」
「知りませんよ」
忠志は、めんどくさそうに答える。
「そりゃあ、あんたが知ってるとは思わないけどさ」
なら言うなよ。ルル子の発言はいつもいつも忠志を苛立たせる。
「用が無いなら帰って下さいよ」
「他に用が無いから来てるんじゃない」
リル宮ルル子は揺るがない。
リル宮ルル子。19歳。獅子座のB型。自称天才ニート




「忠志君さあ。大学行くの?」
「行こうと思ってますよ。それが何か?」
「別に」
ルル子は、忠志のペットボトルを奪い取って飲み干した。そして歩き出す。



「何で忠志君は、私みたいな危ない女を構ってくれるの?」
「腐れ縁ですよ」
忠志は教師に頼まれたプリントの整理を一人でやっている。忠志はルル子の隣の家に住む幼馴染である。
「もしかして、はずみでやれるかもとか思ってる?」
「思ってませんよ。あと学校もう来ないで下さいよ」
気づけばルル子の顔が数mmのところにあって、忠志は驚く。ルル子が忠志の耳元で囁く。
「ごめんね。やらせてあげないよ」
「だから、そんなんじゃないです」
今、落ち着いた声が出せたか? と忠志は自問する。
「今、揺らいだね。童貞クン」
忠志はルル子が嫌いだ。でも一緒にいる理由はほぼルル子がいったような事である。だが、そんな自分が嫌いになるほど、忠志は大人ではなかった。



「最近、力が弱まってる。揺れる心が見えなくなってる」
リル宮ルル子は超能力者を自称する。人の心の揺れを感知して、表現する才能。心の揺れにリンクすると、そのリンクした心は自由に揺らすことができる。



「理由はなんとなくわかってて、多分、私の心が揺れなくなったから。何を見ても何を聞いても何を触れてもどうしてか心が動かない」
「それは貴女が自分の世界に留まっているからでしょう。貴女は怠惰な草食動物。テリトリーの草を食べつくしても、じっと草が生えるのを待つだけの」
「だって、次に揺れたらもう誰も止められなくなるよ」
「揺らしてあげようか」
「やめて!」



忠志はふと思いついて言ってみた。
「鈴木って、鈴がなってる木だと思えば、凄くロマンチックじゃないですか?」
「なにそれ、馬鹿みたい」
忠志はルル子が嫌いだ。



狩野道明はリル宮ルル子に吠えつく。
「おい違うだろ。そうじゃないだろ。何をしているリル宮ルル子! リル宮ルル子がそんなんでいいのか? ダメだろ。全然ダメだろ! 腰に手をあてて高らかに笑えよ。邪魔者を踏みつけろ。邪魔してなくても踏みつけろ。屋上から、愚民共を見下げろ。自分より優れたものはねめあげろ。乱して惑わして萎えさせて震えさせて、そして最後には踏みつけろ。それがリル宮ルル子だろ? 異能を振るえ。異能力に振り回されて失敗して成功して失敗して成功して学園に風を起せよ。ここにはドラマが必要なんだ」
「ドラマなら、貴方が創ればいいじゃない」
「それが僕じゃあ、無理だからじゃないか」
「情けないね」
狩野は座り込んでしまう。だがそれすらも遊びでしかない。



高倉佐奈がリル宮ルル子を見つける。
「リル宮先輩」
「おーう。サナちゃんじゃないすか。可愛いノウ。出来ておる膿」
「今日は何してたんですか?」
「うーい。その首の曲げ方Goodだね! 不思議そうな表情も現実離れしてるよー。そそるわー……」
「全部先輩が教えてくれたんですよー」
「そんなの本当にやるのサナちゃんだけだって」
あはははー、と二人は笑う。脳を使わない会話は楽だなーと二人は思う。



高倉佐奈は、今城正則と会う。
「へー、リル宮さん来てたんだ。あの人今何やってんの」
ニート
「何もやってないのかよ。もったいない」
「何もやってないをやってるって言ってた」
「相変わらずだなー。卒業してもキャラは変わらずか。天然だったんかなあ」
「いやー、それはないっしょ」
ないよなー、と笑う二人。
「病気っぽかったけど、あれは演技だとわかったもん」
「ふーん」
「お前、あの人と仲良くすんのはいいけど、引っ張られるなよ」
「何が?」
「おれ、彼女が屋上で奇声あげてたら嫌だよ」
「うーん。でも」
「でも?」
「演技ならいいんじゃない?」
「嫌だよ」
そう言って高城は佐奈をゆっくりとベッドに押し倒して、覆いかぶさる。佐奈は天井を見上げる。
「そーなんだけどねー……」



「さっちゃん」
「あーっ! リル宮ルル子! 何か用!」
後ろから声をかけたのに、サチコは次の瞬間に振り向いて間合いをとっていた。その間わずかに0.1秒くらい。
「そんな構えないでよ」
心外だという表情のルル子。サチコは敵意を込めて、ルル子をにらみつける。
「構えるわよ。昔、貴方に後ろから殴殺されかけたときから、貴方の前では急所をさらさない事に決めたのよ私は」
「全然殴殺されかけてないよ。サチコが避けたから触れもしてないじゃん」
「避ける避けないの話じゃないの。あんたが最低限の社会性を失っている事に私は構えるの。この構えは、私の心の構えも一緒に表現してるわけ。わかる?」
「わかんないけど、なんか楽しそうね」
「楽しくなーい!」
隙を見て、サチコに抱きついて頬をすりすりしてから、ルル子はサチコの部室を後にする。後ろから何か飛んできたが、ルル子には当たらない。サチコの反応は別の世界の生き物のようで、ルル子はサチコが好きだ。走りながら、ルル子はくすくす笑う。笑いながら思う。私、まだくすくす笑えるんだなあ。



ルル子再び屋上へ。空は真っ赤だ。もう一日が終わる。
ルル子は、「りるるるるるる…」と呟きながら、空を眺め回す。
西、北西、北、北東、東、南東、南、南西、西。
「りるるるるるるるるる」
ルル子はずっと呟き続ける。赤い光がルル子を染め上げて、切り取られた情景は悪夢のようだ。ルル子の”電波”が日常を悪夢に塗り替える。りるるる……りるるる……。
くるくると回りながら、空を眺め回すルル子は、やがて”こちら”を向いて、ぴたりと動きを止めた。
ルル子は”こちら”をじっと見つめる。
ルル子と”僕”の目が合う。
「あなたの欲しい”世界”は、これでよかったかしら」
”僕”はルル子に話しかけられたことに驚きながらも、空の割れ目から、小さなルル子を見下ろし、静かに首を振った。
「そう」
ルル子は再びくるくると回り始めた。”電波”で心の揺らぎを感じる為に。
「いつまでやってんだろ」
そして、ルル子はまっさかさまに落ちて行く。
重力に、ルル子の体が怖気立った。体を心で押さえつけて、重力の為すがままになる。
直ぐ下の窓で、こちらを見て驚く忠志と目が合った。
腐れ縁、ルル子は笑顔を見せようとしたが、直ぐに忠志が消えた。ちゃんと見えたかな、とルル子が思った瞬間、ぐっ、と体が上方に引き上げられる。
落下停止、浮上。
見上げると、そこに忠志がいた。必死の形相で、ルル子の足を掴んでいる。
「お、重い」
「重いなら、放しなさい。別に、助けなくていいから」
「だって、先輩が、手を伸ばしたんでしょ。泣きそうな顔して」
はっとして、片方の手で目を触る。濡れている。水の感触。
私は、泣いているのか。この私が。
笑いがこみ上げる。


「で、何で、足?」
「足に間に合っただけでも凄い話ですよ」
「キサマ、見ているな」
「み、見てません」
「あ! こら力緩んだぞ! 落ちる!」
「う、うわ。助けて!」
夕暮れの校舎に人影はなく、呼ぶ声に答える者はない。
グランドには、運動部の姿が見えるが、山肌に面した校舎の壁にいる人間など豆粒くらいにしか見えない。